謀反…[意]臣下が君主にそむくこと。反逆。 謀反といえば!明智光秀(1526?〜1582)です!そのお話をします☆ 1582年6月2日未明、織田信長が宿泊していた本能寺は、青い桔梗の旗印にぐるりと取り囲まれていました。そこに立つのは…本来なら、中国路を進んでいるはずの明智光秀とその軍勢…その数1万3000人。空が白んできた頃、襲撃を開始。それに向かい立つ信長達の数は30人ほど。やがて信長は傷を負い、最期を悟り奥の間にて火を放ち、切腹。しかしなぜか、その遺体は発見される事はありませんでした。 さて、なぜ光秀は謀反を起こしたのでしょうか?謨反は光秀自身が発案したものとしては、野望説や怨念説、ノイローゼ説など。黒幕がいた場合の説では、朝廷陰謀説、足利義昭黒幕説、森蘭丸スパイ説まで…。勿論、一番得をした豊臣秀吉黒幕説も存在します。いったいどの説が正しいかは闇の中…ですが、私が考えた説もあります(笑)信長は斉藤道三(?〜1556)の娘、濃姫を政略結婚で正妻に迎えたのですが…この濃姫、光秀とは従姉同士の間柄で幼ななじみでした。そしてなんと、彼女は光秀の初恋の相手だったらしいのです☆私が読んだ本だと光秀は女々しい性格だし、その事を長年恨んで…初恋の人取られた恨み説とかどうでしょうか。 話を戻して…光秀は、信長によく叱られていたし、恥もかかされてきました。私は信長が大好きですが…本能寺の変・光秀の謀反については、なんとも。まず、信長ともあろう人が無防備過ぎ。それ自体、計画(謀反の)に含まれていたとしても。光秀にしても、正しいどうかは別として、凄い事をやったなぁと少し尊敬します。己で決意したにしろ命令されたにしろ、相当な覚悟が必要です。信長にしたら飼い犬に噛まれたどころか頭から食べられた訳ですからね、情けないですよね。部下を大切にしないとこうなるんです。光秀は…もう少し計画と後ろ盾を固めていれば…。必ず復讐があるのを知りつつ謀反をした光秀。なぜか嫌いになれません。でも、信長の消えた骸…やっぱり信長は大好きなので、逃げてたらいいなぁって思います☆ 明日は『め』です♪頑張って歴史以外の話をしたいと思います(笑)