徳川家康(1542〜1616)260余年に及ぶ江戸幕府の礎を築いた、徳川初代将軍。 有名な方なので、何を書こうか悩みました。なので徳川家と妖刀村正について…名刀村正が妖刀と呼ばれる様になったまでの経緯のお話をします☆ まず始まりは、家康の祖父と父親が、二人とも家臣に斬殺さた事でした。その凶器こそが村正だったのです。さらに、家康の長男・信康は織田信長に切腹を命令されたのですが、その際、介錯(切腹する人の首を切る・こと(人)。)に使われたものも村正でした。そもそもこの事件自体、信康が裏切ってるかもしれないという噂だけで信長が激怒して起こってしまった事でした。さらに、家康自身も関ヶ原の戦いの折に誤って村正で指に怪我をしたそうです。それ故に江戸時代には村正は妖刀と恐れられることとなったのですが…。少しおかしいですよね。家康だけ怪我で…慌ただしい中、指に怪我しただけじゃん!て思うのです。でも妖刀というものは、力の強きものには従うというし…家康がそれだけ力があったという事でしょうか。でも関ヶ原の戦いは天下分け目の戦というのに…失った命は多いのに…指の怪我まで記録されているという事は、家康は指の怪我ごときで騒いでたのかな…。さて、名刀村正ははたして妖刀だったのでしょうか。 明日は『な』です☆