水戸光圀(徳川光圀)…1628〜1700年・水戸藩二代藩主。 水戸黄門様です!テレビドラマの影響で、用心棒の助さん・格さんを連れて諸国漫遊する好好爺が浮かび上がるのですが…あれは完全な作り話です。本当の黄門様は関東地方からさえ出たことのない人でした。助さん・格さんはどうかというと…彼等のモデルになったであろう人物は確かに実在します。(佐々介三郎と安積覚という人達です)ですが、2人共学者で、用心棒は無理…だと思います。その格さんが印籠を出しながら「天下の副将軍水戸光圀公なるぞ」の決めゼリフは有名ですが…実際、江戸幕府には、副将軍なんて役職は存在していませんでした。 さて、話を戻して黄門様ですが、ドラマに出てくるような事はしてませんが、立派な名君でした。例えば、水害から人々を守ったり、悪徳高利貸を厳しく取締ったり。隠居してからも、貧しくて医者に行けない民の為に、近くの野山で手に入る薬草を使った薬の調合法を『救民妙薬』という小冊子にまとめ側医に編集してもらい、村々に配布したりしました。暴力も無いし、実際の黄門様も実に素晴らしい人でした。しかも、若い時は、色白で鼻筋のとおった世上まれにみる美男子だったらしいです☆ 余談ですが、顔の話だと、今回の『み』のお題候補に、源義経(1159〜1189)がいたのですが…美形のイメージの強い彼ですが、『義経記(1370年代)』以外の『平家物語』『源平盛衰記』『笈かざし』などの記述をまとめると…平家の屑男より劣ってい、顔が大きくて、出っ歯で、チビで猿みたいで赤髭面とか書かれてます…平家はしょうがないとしても…何か恨まれていたのでしょうかね。『義経記』と『笈かざし』は義経死後二百年近く経ってからの物語なので良くも悪くも作者の意図によって変えられてると思いますが。真相は…。 明日は『む』です☆